5月29日 (火)  松岡農相の自殺に思う!

最近、司馬遼太郎氏の小説を読み返している。
若い頃、読んでいた小説が、未だに手元にあったので一冊読み返したら面白くなって「翔ぶが如く」を読み始めた。

「翔ぶが如く」は、明治維新の立役者、西郷隆盛が維新後「征韓論」に敗れ、担がれて「西南の役」で没するまでを描いた司馬氏の代表作の一つである。

この激動期の政治に携わった大久保利通などが登場するのだか、この新しい国「日本」を命を賭けて作り上げた政治家達の必死な思いが伝わってくる。

この時期の政治家達が現代の政治家を見ると、「なんと嘆かわしいことかと!」我々は、このような国を創るために命を賭けたのかとの嘆きが聞こえるような気が、私はしてならない。

松岡農相が自ら命を絶った。
彼は、「政治とカネ」の狭間の中でもがき苦しんだに違いない。彼も現代の被害者かもしれない。

「政治とカネ」を思うと、どうしても選挙のことを思わざるをえない。選挙が告示されると聞きたくもないのに選挙カーからの候補者の連呼が聞こえてくる。一説のよると市会議員で選挙費用は約1,000万円かかると云われている。

選挙事務所開設費、電話代、ポスター代などなど、これだけの費用がかかると、普通の凡人ならかかった1,000万円を取り返したいと考えるのは、普通である。また、支援者への見返りもまた、必要性を感じてしまう。政治家のほとんどは凡人である。

「政治とカネ」の原点は、選挙にある。選挙に金がかかるから取り返したくなる。そのため、カネに手を染める。私は、選挙カーからの候補者の連呼など聞きたくない。選挙期間中は、選挙カーを禁止し、候補者からの電話もはがきも禁止したい。

戦後、60年余り、選挙の形態は変っていない。
メディアが発達した今、候補者同士の討論会など(最近、始まっているようだが・・)を通じて本当な意味での政治家を選べる手法を模索する時期に来ているのではと思う。今からでも遅くない、第二の松岡農相を出さないためにも、今後の日本のためにも!!!松岡農相のご冥福をお祈りする次第である。